追悼 板木利隆先生

大学、施設園芸業界、そして技術士の大先輩である板木利隆先生が10月2日に89歳の生涯を閉じられました。謹んでお悔やみ申し上げます。

板木先生の施設園芸、養液栽培、育種、接ぎ木苗生産、家庭園芸、執筆、そのほか広範な業績については、ここでは触れませんが、ご興味のある方は、こちらのブログをご覧ください。板木先生への追悼として、先生との思い出を少しだけ書かせていただきます。

技術士試験は他流試合

板木先生とご一緒の車中で、技術士の資格試験について相談をしたことがありました。受験についての相談に対して板木先生は「頑張ってください」の他に、「技術士試験は他流試合なんです」と一言おっしゃられました。詳しい説明はされませんでしたが、試験を受けることで様々な技術者と同じ土俵で評価を受けることになり、それを他流試合と例えられたのだと思います。技術士試験(2次試験)は筆記試験(論文)と口頭試験からなり、相対評価を受けます。実際に他の受験者と競うことはありませんが、他流試合と言われる感覚に少し驚きました。

他流試合に関して、所属する組織内や業界内だけで通用する知識や技術だけでなく、もっと広い世界で通用するような実力で勝負するのが技術士である、と暗に言われたと今では思います。それは板木先生が技術士事務所を開設された後、全農営農技術センターの技術主管の立場で世界的な接ぎ木苗技術(セル苗の幼苗接ぎ木)を開発されたことに端的に表れています。自分は板木先生のそのような実力には遠く及びませんが、訃報に際しこれからも他流試合の意識を持ち続けて行こうと思い及びました。

農学者と技術者の二面性

板木先生は神奈川県の農業技術センターでの研究職で育種から養液栽培の技術開発まで、野菜生産と施設園芸に関わる広範な農学研究を行われ、またその出口を農業現場に作られてきました。神奈川県のみならず全国の多くの施設園芸生産者に影響を及ぼして来た研究者であったと思います。私の恩師であり、瑞宝重光章を先日受章された元千葉大学長の古在豊樹先生が、板木先生は極めて実学の研究者、と言われたことを記憶しています。実用的な技術を開発、それを現場に持ち込むことで更に実用性を高める技術者としての側面を持たれた稀な研究者、という評価であったと思います。

専門とされる分野の広さにも今更ながら驚きますが、農業という産業に関わる以上は蛸壺的研究ではなく総合的な研究開発が求められ、それを体現されたのが板木先生であったと思います。現代の言葉で言えばイノベーターであり、複数の分野の融合、栽培と環境制御、省エネルギーと栽培、育種と栽培、育苗技術と環境制御など、常に領域を横断する活動をされてきたと思います。またこのような研究開発の背景に、弛まない努力や新たな分野への挑戦があったはずです。板木先生の活動は、この先の困難な時代での羅針盤としても、皆の記憶に残っていくものと確信しています。