「平成農業技術史」の刊行と令和の施設園芸技術

公益社団法人大日本農会という公益法人があります。港区虎ノ門のアメリカ大使館の隣の三会堂ビルという、農林水産系の団体が多く入居するビルにオフィスがあり、農林水産省の有力OBが在籍していることで知られています。また月刊の「農業」という会誌を発行していますが、広告ページは一切無く、年間購読料は5000円、明治14年8月に創刊の「大日本農会報告」から数えると実に通巻1650号以上になるというものです。

その会誌「農業」で、数年前より「平成農業技術史研究会」という連載があって、農業各分野の米作、畑作、野菜作、果樹作、花き作、加工・流通、畜産・草地などにおける平成期の代表的な農業技術の紹介がされてきました。その連載を取りまとめた形と思われる、大日本農会編による「平成農業技術史」というA5判576ページの大著が農文協より刊行されました。税別価格が8000円ということで個人が気軽に買える書籍ではなく、かなりの権威性が感じられます。

 

 

「平成農業技術史」を立ち読む

農林水産省に月1回程度、用件があって伺うことがありますが、その際は必ず地下の書店(三省堂書店売店のひとつの農林水産省売店)に立ち寄っています。この書店は神保町にある農文協直営の農業書センターと並び、農業専門書や行政関係書が充実しています。本日、農林水産省に伺った折りに農林水産省売店を覗いたところ、「平成農業技術史」が平積みになっていました。同店の店長さんの売れ筋本や話題本などについての記事が日本農業新聞の書籍欄に定期的に掲載されますが、近いうちに本書について言及をされるかもしれません。さすがに買うつもりはありませんでしたが、短時間で立ち読みをさせてもらいました(普段は何かしら購入しているので、お許しください)。

野菜作の章は、元千葉大学の伊藤正先生(現公益財団法人 園芸植物育種研究所理事長)と元野菜茶業研究所所長の吉岡宏さん(吉岡技術士事務所所長)、同じく望月龍也さん(現東京都農林総合研究センター所長)が執筆をされており、施設園芸関係の内容も多くを占めていました。短時間の立ち読みで拾った内容は、自分が関わってきた「閉鎖型苗生産システム」、「太陽光型植物工場」、「次世代施設園芸」で、おのおの概要が紹介され平成の農業技術として認定がされたと言うところでした。栽培技術と栽培施設や装置についての記述が中心で、大規模施設園芸で近年重要とされる「生産管理」、「労務管理」といったキーワードは見受けられませんでしたが、農業技術としての認定にはまだ時期尚早なのかもしれません。

 

第3回平成農業技術史研究会ー野菜作における技術の展開ーより

残念ながら立ち読みに終わった「平成農業技術史」ですが、その野菜作の章の元となったと思われる「農業」2018年1月号に掲載の「第3回平成農業技術史研究会ー野菜作における技術の展開ー」があります。これは前述の伊藤正先生の同研究会でのご発表を概要としてまとめられたものです。この研究会報告の冒頭で、伊藤先生は平成の野菜作に影響を及ぼした社会的背景として、以下の3点をあげられています。

第一の背景は「消費者の安全・安心・健康志向と食の外部化」で、それに対応した技術として耐病性育種・業務用品種等の育種面の対応とIPM技術による病害虫等の育種面からの対応とIPM技術におる病害虫防除対策が考えられるとしています。

第二の背景は「生産者等の高齢化等への対応」で、これには育苗の分業化、省力化に向けた農機具の利用、施設栽培の大規模化、ICT化、養液栽培・植物工場、経営の大規模化、多様化、高度化による経営強化に関わる技術があげられるとしています。

第三の背景は「グローバル化対応」と考え、野菜の輸出入とそれを巡る今後の技術対応が重要としています。

このような社会的背景は施設園芸技術に密接に結びついていたもので、将来を見通す際にも参考にすべきことと思います。

 

「施設園芸・植物工場ハンドブック」における平成期の技術要素

自分が編集企画にかかわった「施設園芸・植物工場ハンドブック」という、これもA5判569ページの大著があります。この中に「施設園芸・植物工場の発展」というチャートがあり、戦後の施設園芸勃興期から平成後期に至る代表的な技術が年代別に記載されています。そこで取り上げられた平成期の技術要素を列記してみます。

複合制御コンピュータ、遮光、屋根全開ハウス、セル苗、幼苗接ぎ木(ロボット)、養液土耕、高設栽培(イチゴ)、培地の多様化、閉鎖型育苗装置、養液リサイクル、遠隔操作、ヒートポンプ、複層ハウス、ドライミスト冷房、低コスト耐候性ハウス、大規模高軒高ハウス、量的施肥法、精密点滴かん水、統合環境制御、ゼロ濃度差施用

このチャートは歴代の「施設園芸ハンドブック」に取り上げられ、改訂の都度書き加えられてきたもので、本書では当時の日本施設園芸協会の篠原会長が執筆を担当されたものです。特徴的な技術要素が列記されており、現時点でも施設園芸の主要技術として展開されているものが多くあると思います。「平成農業技術史」と異なり施設園芸・植物工場の専門書ですので、取り上げている内容も豊富ですが、それでも前記の技術要素には平成期の技術史を飾ったものがあふれています。

 

令和の施設園芸技術はどうなるか?

平成のことはすでに過去のものでありますが、これからの未来を占う基盤とも言えます。未来のことは誰にもわかりませんが、近未来に起こるであろう社会の変化はある程度予測がつきます。その変化として施設園芸に大きな影響が予想されるものに、「人口減少」、「気象変動による自然災害増」があります。前者は数十年先の状況も予測がつき、後者は予測はつかないものの変化の厳しさを多くの国民が感じ取っていると言えるでしょう。

令和の施設園芸技術の流れは、この二つの事象に対応していくことが予想されます。なぜならば二つの事象に対応できなければ、産業としての施設園芸の存続が危ぶまれるためです。すでに人口減少の影響は農村や施設園芸における人手不足や外国人技能実習生の活用といった現実にあらわれ、また自然災害増の影響は施設への頻繁かつ多大な損害の発生という現実にあらわれています。

平成までの施設園芸技術は単収の増加、品質の向上、省エネなど、生産性の向上に注力された面が多くあります。そのため様々な技術シーズから生み出されたものも多かったと思います。しかし令和の施設園芸では、人口減少と自然災害増に対処しながらの持続的な技術開発が必要とされるでしょう。また食料生産を担う施設園芸の持続性が担保されなければ、輸入農産物に頼るような不安定な食生活を国民に強いることになりかねません。そうした事態を避けるような技術開発と実証が今後さらに求められるように思います。

具体的には機械化、自動化、耐候性向上、暑熱対策、労働環境の快適化、安全衛生管理といったキーワードが思い浮かび、対応した技術開発も各所で進行中です。またスマート農業による大幅な省力化の実現も、この範疇に入るものでしょう。さらにICTの育種への応用も論じられ、新品種育成による新たな生産体系の構築にも期待が寄せられています。困難を克服しながら発展し生き残っていく施設園芸技術について、我々は熟慮し多くの議論を経て盛り立てていかねばならないと考えております。